ちょっと今度、『名探偵』を使いたくなったので、ミステリを勉強(?)しています。
しかしミステリ(推理小説)って難しいですね……もともと怪奇の方のミステリの人間なので、一層そう思います。

十戒や二十則はまだ遠く、推理小説の根幹の面白さを考えてるのですが、思いついたことをチラシ裏の代わりにここに書いていこうと思います。


【推理小説には自然に導かれる謎が必要である】

 これは当たり前のことですが、大事なことでしょう。『だれが』、『どうして』、『どうやって』犯行を行ったのかを推理するわけでです。よく言うところの”フーダニッツ””ホワイダニッツ””ハウダニッツ”ですね。この三つのうち、最低でも一つが不明でなければなりません。これは面白さ以前の、推理小説の定義にかかわるところだと思います。
 推理小説語りでホームズを引き合いに出すと色々バッシングされそうですが、『緋色の研究』が”フーダニッツ”、『赤毛同盟』が”ホワイダニッツ”、『まだらの紐』が”ハウダニッツ”に重きを置かれているように思えます。また、御手洗清シリーズなんかは完全に”ホワイダニッツ”がメインになっていますよね。

 さて、上に「自然に導かれる謎」と書きましたが、例えばクローズドサークルにおける事件であれば、自然と犯人が絞られますよね。つまりは謎の占める領域が限定されるわけです。だからこそ、クローズドサークルに置いては人が一人死んだだけでも十分に推理小説の舞台たりうるのです。
 逆に、『深夜の路上で女性が刺された』という事件があったとしましょう。ここで【女性を狙う動機を持つ人もいない、目撃証言もない、犯行手順もありふれたものである】場合、この事件は推理小説たりうるでしょうか?たとえこの状況から論理破綻なく犯人を見つけられたとしても、これは推理小説でないのではないでしょうか。
 動機を持つ人や、目撃証言や、奇怪な犯行の手口があって初めて推理小説は推理小説であることが出来るのではないでしょうか?つまりは推理の方向を決定する証拠や状況、これが【謎の限定】であり、残ったものが【導かれる謎】であるわけです。
 しかしながら、【動機なし、目撃証言なし、犯行手順が普通】であっても推理小説になりうるものがあります。それが連続殺人です。連続殺人(殺人じゃなくてもいいのですが)では、襲われた人の一覧こそが【謎を限定】するのです。
 もちろん、【謎の限定】を逆手に取った作品もあります。例えば、連続殺人だったらABC殺人事件なんかはその最たるものですね。
 ただ、それらはあくまで変り種です。基本をしっかり押さえてこそ、こういった変わり種をしっかりとした構築の元で扱えるものでしょう。




 はあ、トリックなんて思いつかないよ……