隠れ家的な闇的な

ゲームとか漫画とか小説とかラノベとか新人賞とか単位とか悩みと堕落多き薬学生のブログ

本/映画/アニメ

マッチスティックメン [今日観た映画]

プレシャスタイム枠で見た映画。可もなく不可もなく。
クライムムービーは好きなのに、こう感じるってことは退屈な映画なんだろうな。

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真っ白な嘘 (フレドリック・ブラウン)

 久しぶりの本の紹介となります。

 「真っ白な嘘」はフレドリックブラウンの短編集で、日本語版では17編、原書では18編の小説が収録されています。
 なんといっても、この作品の魅力は前半で積み上げた物を公判で否定する、どんでん返しの巧妙さにあります。勿論、短編集ですから全てが全てというわけではありませんが……
 フレドリックブラウンといえば、一番知られているのは短編「ノック」でしょうか?

「世界で最後に生き残った男が、部屋にいた。すると、ドアにノックの音が…」

 もっとも、「ノック」には元ネタがあるという話も聞きますが、大方のブラウンの作品はこのように簡素で、それでいて予想できないどんでん返しを含んだものが多いようです。


 「真っ白な嘘」から一作品だけ抜き取って紹介してみましょう。前から八番目に収録された「闇の女」がそれです。
 この作品は、言ってみれば、最高のミステリではないかと思います。なんといっても最後の一文で作品全体の謎が解ける快感。そして、物語の佳境に置いてはその謎が”解けていない”ことから読者の眼をそらすほどの展開力。
 どれをとっても理想的な娯楽ミステリ像です。

 さて、ネタバレしない程度にさわりをご紹介いたします。

***
 プランデル夫人の下宿にメアリ・ウェスタマンと名乗る女性が部屋を借りに訪れた。その申し出を快諾したプランデル夫人であったが、数日が経つにつれ、おかしなことに気付く。
 メアリは居間にはめったに顔を出さず、また自室では明かりもつけずに暗闇の中に座っていたのだ。
 その奇怪な住人を、夫人は「ミスダークネス(闇の女)」と呼び、友人らと共にこの理由を考えていた。ある人は眼が悪いのでないか、と、またある人は、宗教のためではないか、盲人の気持ちになるためではないかと様々な仮説を飛ばしたが、結局結論には至らない。
 しかし、そうしているうちに、驚くべきことが判明した。メアリが部屋を借りに訪れたその日の午前に銀行強盗があり、その片割れは女で未だ逃走中だというではないか。
 メアリがその強盗ではないのかと、一同が疑い始める中、刑事がプランデル夫人の家の扉を開いた……
***

幻影ヲ駆ケル太陽、五話を観たよ

今期アニメの『幻影ヲ駆ケル太陽』、雰囲気がかつてのクソアニメ『Venus Versus Virus』に似てるので視聴を続けているのですが、五話のサブタイトルがちょっと気にかかったのでしばし。

そのサブタイトルは
「ああ、金、金!
この金のために
どれほど多くの悲しいことが
この世に起こることであろうか」


調べてみると以前に2chで話題にもなったようですが、僕は放送に際して初めて知りました……。
2chでは結局この元ネタまでたどり着けなかったようですが、おそらくこれはドリトル先生物語からの引用ではないかと思います。手元にモノがないのでしっかりしたことは言えませんが、多分『秘密の湖』でのドリトル先生の台詞だったはずです。手元に本がある方は確認してみてください。(ひょっとしたら『月から帰る』かも)

元々、この作品はPVからして「太陽がまぶしいから」とカミュの引用を用いていました。これに関しては一話で『異邦人』が文学少女の小道具として描かれていたこともあり、キャラクターを際立たせるためかと思っていましたが、サブタイトルにまで引用を用いるとなると、また別の意図があるのかもしれません。

私は浅学にして知りませんが、1~4話のサブタイトルも名作の一節なのかもしれませんね。

タロットアニメの皮を被った文学アニメか!おらワクワクしてきたぞ!!

P.S.
 文学アニメとしてみると、この作品のキーパーソンであるだろう『鴉』と『猫』にも面白い解釈が出来そうですね。"The Raven"と"The Black Cat" ですか。



ミステリって難しい

ちょっと今度、『名探偵』を使いたくなったので、ミステリを勉強(?)しています。
しかしミステリ(推理小説)って難しいですね……もともと怪奇の方のミステリの人間なので、一層そう思います。

十戒や二十則はまだ遠く、推理小説の根幹の面白さを考えてるのですが、思いついたことをチラシ裏の代わりにここに書いていこうと思います。


【推理小説には自然に導かれる謎が必要である】

 これは当たり前のことですが、大事なことでしょう。『だれが』、『どうして』、『どうやって』犯行を行ったのかを推理するわけでです。よく言うところの”フーダニッツ””ホワイダニッツ””ハウダニッツ”ですね。この三つのうち、最低でも一つが不明でなければなりません。これは面白さ以前の、推理小説の定義にかかわるところだと思います。
 推理小説語りでホームズを引き合いに出すと色々バッシングされそうですが、『緋色の研究』が”フーダニッツ”、『赤毛同盟』が”ホワイダニッツ”、『まだらの紐』が”ハウダニッツ”に重きを置かれているように思えます。また、御手洗清シリーズなんかは完全に”ホワイダニッツ”がメインになっていますよね。

 さて、上に「自然に導かれる謎」と書きましたが、例えばクローズドサークルにおける事件であれば、自然と犯人が絞られますよね。つまりは謎の占める領域が限定されるわけです。だからこそ、クローズドサークルに置いては人が一人死んだだけでも十分に推理小説の舞台たりうるのです。
 逆に、『深夜の路上で女性が刺された』という事件があったとしましょう。ここで【女性を狙う動機を持つ人もいない、目撃証言もない、犯行手順もありふれたものである】場合、この事件は推理小説たりうるでしょうか?たとえこの状況から論理破綻なく犯人を見つけられたとしても、これは推理小説でないのではないでしょうか。
 動機を持つ人や、目撃証言や、奇怪な犯行の手口があって初めて推理小説は推理小説であることが出来るのではないでしょうか?つまりは推理の方向を決定する証拠や状況、これが【謎の限定】であり、残ったものが【導かれる謎】であるわけです。
 しかしながら、【動機なし、目撃証言なし、犯行手順が普通】であっても推理小説になりうるものがあります。それが連続殺人です。連続殺人(殺人じゃなくてもいいのですが)では、襲われた人の一覧こそが【謎を限定】するのです。
 もちろん、【謎の限定】を逆手に取った作品もあります。例えば、連続殺人だったらABC殺人事件なんかはその最たるものですね。
 ただ、それらはあくまで変り種です。基本をしっかり押さえてこそ、こういった変わり種をしっかりとした構築の元で扱えるものでしょう。




 はあ、トリックなんて思いつかないよ……


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